妹と私の闘病日記

原因不明の病に侵された妹と私の気持ちをBlogに書きます

気付いた事

妹が病気になって、失って、まだ実感わかなくて、残酷だけど気付いた事があった。誰かに頼って支えてもらって進むものじゃないって事。自分の人生は自分でしか前に進んで行けないって事。確かに妹から1番近い存在だった家族がこの辛さを知っている。でも家族…

仲が深まるほど…

この仲間との出会いは確かに私には必然だった。すごく楽しい時間をもらえたし、与える事も出来たと思ってる。けど、狭い場所での仲間。3年くらい経ったところで転機がおとずれた…噂が噂を呼んでしまい、私は弟君とは、もぅ会えなくなった。何も無い。同士の…

私の話

妹が病に倒れてから運命かのような縁があった。それはすごく近くに。5つ年上の姉さんと、10個も年下の男の子。この2人とは近くに居たとはいえ、挨拶する程度の仲だった。あるきっかけがあって3人は自然に仲良くなって行った。この歳になって、こんなに仲良…

盆も終わり

妹は向こうの世界へ逝った。そっちの世界はどんななんだろう。肉体は滅びても魂は本当に残るの?生きてる限り必ず死は訪れる。死と向き合うなんて、妹が病気になるまでそんなに考えた事無かった。妹が病気になって、もぅ治療法が無いと知って、それでも分か…

新盆

四十九日が終わったと思ってたら今年が新盆。全く忙しない妹らしい。こちらでは明日が盆の入り。ずっとずっと家に帰って来たいって言ってたからかな…自分の家族や親族の死に直面した事は今まであった。おじいちゃんやお婆ちゃん、おじさん。その時も確かに悲…

怒涛の日々

妹が亡くなってから四十九日法要までは本当にあっという間だった。私の住んでる地域は狭く、田舎で、噂が一つ上がればすぐに広がるような地域。周りの人がかけてくれる言葉は有難い言葉から、今言われたくない言葉もある。前を向いて行け妹の分まで生きろ妹…

健常者から障害者へ

妹は病中、身体障害者1級にまでなった。自分で寝返りをうつことも、首を動かす事も出来なくなった…健常者で毎日普通に生活してた人が、時間をかけて、どんどん体が麻痺して行く恐怖…病名も分からないまま進んでいく病。それも何年も。どんなに辛い思いをして…

気が抜けた日

告別式も無事に終わり、また普通の毎日がやって来た。でも、何か違う…いつも通り娘を幼稚園に送って、1人になると、本当に逝ってしまったんだ…と。両親を支えなければいけないいつかは妹が残した大事な甥っ子を自分が支えなければいけない家の中では居場所が…

火葬場へ

火葬場までの車の中はボーッとしていて殆ど覚えていない。これから火葬場へ行くんだと言う恐怖も無いくらいボーッとしていた。火葬場へ着いて、すぐに斎場の人に案内され、そのまま中へ…真っ暗で焦げてるような中。そこをずっと眺めていた。この中に入るんだ…

最後の別れ

告別式の朝は暑いくらいの晴天だった。妹の肉体は今日この世から無くなる。ずっとそれがら頭から離れなかった。告別式の前、最後だからとお燗の蓋を開けてくれた葬儀屋さん。妹の近くに座って何も言わず妹を見ていた。眠ったままの妹。本当に今日この世から…

通夜

斎場に着いて祭壇を見て泣きそうになった。綺麗な花。その中に私が選んだ遺影。ピンクの可愛いシツギ。斎場の方が、通夜が始まる前にもう一度メイクを直してあげて良いですよ、と言ってもらったから最後の、皆にお別れする為のメイク直しをした。入念に。綺…

旅のしたく。出発。

2日目は妹の旅のしたくをした。みんなで旅に持っていく物を身に付けてあげた。すっかり硬くなって冷たくなった足には足袋を。涙が出た。そして可愛いピンクのシツギが運ばれてきた。中はレースで妹が好きそうな感じ。今はシツギも選べるんだ…おじいちゃんの…

3日間は…

葬儀屋さんの気遣いと運が良く気温も低く、やっと自宅に帰って来れたのだからと、通夜、告別式は土日に行う事になり、3日間は自宅に安置する事になった。人形のように動かないし、布団で隠れてるけど体は骨しかないくらい細い。それはそうだ…約3年間、何も口…

自宅にて

自宅に着くと母が座敷に布団を敷いていて、そこに妹が寝かせられた。寝ている妹。見てる私。居間では葬儀屋さんと家族が通夜、葬儀の日にちを決める話をしていた。そんな事務的な事は私は話す気にもなれなかった。ただ、寝ている妹を見て、3年半の戦いが終わ…

やっと我が家に…

霊安室に安置された妹を見て改めて妹が逝ってしまったんだ…と実感した。周りにいる人とか、関係無いくらい泣き崩れた。苦しかったんだろう…五体満足だった体がどんどん使えなくなって行き、最後は視界も奪われ意識も殆ど無い状態が1年以上続いて、最後は、大…

6月28日

まだ薄暗い早朝。電話が鳴った。妹が危篤と。転院して4ヶ月、ずっと小康状態を保って来てた。最後に会ったのは亡くなる約1週間前。彼女は意識が無いはずなのに私の声を聞いて何か訴えたい様子だった。泣きそうな…苦しそうな…まさか、それが最後になるなんて…

フラッシュバック

夜になるとかなりの率でフラッシュバックする。ここに妹が居たら…とか大学病院での戦い。多分私の時間は動いてるようで、慣れて来たように見えてるだけで、妹が救急車で行ってしまった日から止まってしまっているんだと思う。この先、元気だった頃の妹ともぅ…

辛い気持ち

妹が居なくなってからは主に両親が甥っ子の面倒を見ている。もう決して若くない両親が、元気いっぱいの6歳の男の子を見るだけでも大変な上に、彼のカリキュラムの中には、幼稚園〜夕方まで学童〜帰宅。の後に三輪車でのお散歩がある。毎日夕方、60過ぎた父が…

専門幼稚園へ

3歳までは甥っ子は保育園に通っていた。4歳からは専門の幼稚園に通う事に決めて保育園をやめた。今まで、自閉症。と言う病気は知っていたけど近親者に居ないし未知だった。小児精神科の先生も、その子の成長は未知らしい。急に言葉を覚える子も居るし大人に…

妹の息子

前Blogにも書いた通り、妹の息子は知的障害を伴う自閉症。1歳半くらいから、妹も私も少しだけ周りの子と違うな…と思い始めていた。外で遊ぶと石に固執してずっと石で遊ぶ。指差しをしない。お話をしない。目を合わせて笑わない。一定の人にだけ固執する。な…

いい天気

昨日の雨は上がって今日はいい天気。でも、鬱病とパニック障害を発症してからは毎日上がったり落ちたり。ジェットコースターのような自分の気持ちに着いて行くのがやっとだ…妹は今日も空を見る事無く、あのベッドの上で1日過ごすんだ…

1人じゃ無力

今の妹は生きてる…では無い。生かされてる…と言った方がいい。毎日決まった時間に吸引、オムツ変え、胃瘻に栄養を流し込む。天気のいい日の空。夜の空。人との会話。何も無い。彼女の世界は今どんな世界なんだろう…と、ふと考える時がある。私は無い物ねだり…

転院

転院の話が出てからは早かった。某療養病院が受け入れてくれる事になり、今年2月28日、妹は約3年の戦いを終えて大学病院を出た。救急車での移動は私が同乗した。ストレッチャーに乗ったまま3年ぶりの一瞬の外の空気。救急車に乗ってる時も妹は分かってるのか…

意思表示

一般病棟へ移ってからも妹の病状は悪化を止めない。麻痺のせいで、手、顔の震え。意思表示は手を握って答えると言う感じ。もぅ字も書けないし50音の大きなボードを作っても指でさせない。左目は完全に機能を失った。シェーグレンでここまでなる症例も無けれ…

ICUでの戦い

翌日ICUへ行くと変わり果てた妹が居た。手は縛られ、気管挿管されていて麻酔で朦朧としている…口から喉に太い管が入って涙目で痛いと紙に書いて訴えて来る妹。耐えられなかった…医師は言った。ずっと挿管は出来ない。気管切開しか手段はないと…気管切開した…

またICUへ…

妹の左耳の麻痺とともに、まだ悪化は止まらなかった。ある日の夜、携帯が鳴った。急を要するから病院に来てくれと…急いで病院に向かった。病室に妹のベッドは無く処置室に居た…妹は呼吸が上手く出来ない状態になっていて、酸素マスクをされながら両目はグル…

一般病棟へ…

肺炎が落ち着き一般病棟へ戻った妹は、リハビリが始まった。トロトロのジュースを少しづつ飲んだり、彼女は早く治して絶対退院してやるっていう強い気持ちを持っていた。妹の面会に行って、ラウンジで筆談するのが楽しかった。LINEも1日に何回もしてた。けど…

2度目の入院

救急車で運ばれた妹は、誤嚥性肺炎を起こしていて、そのままICUに入った。その時は左の顔面も麻痺していて、声帯が開いたまま麻痺している…という事しか聞かされてなくて、声帯の麻痺もその時だけだと思っていた。声も殆ど出ていなかった。それはそうだ、声…

原因不明の悪化

その後、左耳が聞こえないわりにも仕事も育児も頑張ってこなしていた妹。ある日おなかしな咳をするようになった。明らかに風邪の咳ではないと思って病院行く事を勧めたがまたギリギリまで我慢し、声も出しづらくなっていった。ついに妹は自分で普通に生活す…

意味不明な症状

その後、彼女は通院しながら普通に生活をしていた。始めに意味不明な症状が出たのは左耳。聞こえずらいと言い出し、耳鼻科で検査をしても異常無し。私達は突発性難聴だと思っていた。でも違った。彼女の左耳は完全に聞こえなくなり、平行感覚を失い目眩がす…