妹と私の闘病日記

原因不明の病に侵された妹と私の気持ちをBlogに書きます

2016-06-13から1日間の記事一覧

1人じゃ無力

今の妹は生きてる…では無い。生かされてる…と言った方がいい。毎日決まった時間に吸引、オムツ変え、胃瘻に栄養を流し込む。天気のいい日の空。夜の空。人との会話。何も無い。彼女の世界は今どんな世界なんだろう…と、ふと考える時がある。私は無い物ねだり…

転院

転院の話が出てからは早かった。某療養病院が受け入れてくれる事になり、今年2月28日、妹は約3年の戦いを終えて大学病院を出た。救急車での移動は私が同乗した。ストレッチャーに乗ったまま3年ぶりの一瞬の外の空気。救急車に乗ってる時も妹は分かってるのか…

意思表示

一般病棟へ移ってからも妹の病状は悪化を止めない。麻痺のせいで、手、顔の震え。意思表示は手を握って答えると言う感じ。もぅ字も書けないし50音の大きなボードを作っても指でさせない。左目は完全に機能を失った。シェーグレンでここまでなる症例も無けれ…

ICUでの戦い

翌日ICUへ行くと変わり果てた妹が居た。手は縛られ、気管挿管されていて麻酔で朦朧としている…口から喉に太い管が入って涙目で痛いと紙に書いて訴えて来る妹。耐えられなかった…医師は言った。ずっと挿管は出来ない。気管切開しか手段はないと…気管切開した…

またICUへ…

妹の左耳の麻痺とともに、まだ悪化は止まらなかった。ある日の夜、携帯が鳴った。急を要するから病院に来てくれと…急いで病院に向かった。病室に妹のベッドは無く処置室に居た…妹は呼吸が上手く出来ない状態になっていて、酸素マスクをされながら両目はグル…

一般病棟へ…

肺炎が落ち着き一般病棟へ戻った妹は、リハビリが始まった。トロトロのジュースを少しづつ飲んだり、彼女は早く治して絶対退院してやるっていう強い気持ちを持っていた。妹の面会に行って、ラウンジで筆談するのが楽しかった。LINEも1日に何回もしてた。けど…

2度目の入院

救急車で運ばれた妹は、誤嚥性肺炎を起こしていて、そのままICUに入った。その時は左の顔面も麻痺していて、声帯が開いたまま麻痺している…という事しか聞かされてなくて、声帯の麻痺もその時だけだと思っていた。声も殆ど出ていなかった。それはそうだ、声…