年に一度の
明日は年に一度の乳癌検診だ。
9年前、なんか胸が変な痛みがすると思って母も乳癌を患っていたので軽い気持ちで病院にいって検査をした。
触診では異常は無くマンモも異常は無く、超音波検査でシコリらしき物が5つ出来ていた。
悪性では無さそうとの事だったが、自分で全く気付かなかったから怖くて細胞診をして、それからは3ヶ月に一度、半年に一度、1年に一度になって毎年この時期に受けている。
妹が入院してた病院の目の前の病院。
彼女が生きていた時は、妹はもっともっと辛く痛い治療してるから私も検査結果が異常あっても!と奮い立たせていた。
今年はもぅ彼女は居ない。
弱虫だと思うけど検査の度に、最悪な結果を考える。
弱虫だな…検査受ける前からこんなで。
妹にもいつもいつも弱虫って言われてたな…
生きてれば苦もある。
検査を受けたく無いけど逃げる気はない。
明日、きちんと自分のシコリに変化がないか、検査して来ます。
眠り姫
眠り姫って信じる?
娘はきっと気付いていたし気付いているけど眠り姫の存在を信じている。
長い階段があって空にはお城があって、綺麗なドレスを来た彼女がいる。
こっちには自由に行き来する事が出来る。
そんなお姫様を娘は世界で1番綺麗と言う。
あなたの存在は魂になっても、たった6歳の女の子の胸に綺麗に刻まれているよ。
月命日の昨日
彼女が納骨されて月命日が来て。
彼女のお墓はやっぱり自然溢れる場所で1人で行くと違う世界に居るみたいな感じで、鳥の鳴き声だけが聞こえる静かな場所。
ホントに悪くない場所だ。
彼女のお墓には誰かが来たのか、まだお花が新しくて、お友達が会いに来てくれたのかな…と嬉しかった。
墓石に向かって、そっちの世界はどぅ?
と聞いてみたりした。
辛い事や悲しい事は無いのかな?
それともこっちの世界の方が煌めいてるのかな?
最近すごく落ちる。
こうして毎日普通に生活出来ることに感謝しないと…
約1年前のブログ
約1年前のブログを読み返してみた。
人生で初めて大事な人を失った日から数日間の事が書いてあるのを見て、私はあの日から一歩くらいは前に進めているのかもしれないと思った。
慣れた。のでは無い。
彼女の死を少しづつ受け入れているんだと思った。
今でも毎日思い出すし、失った穴は塞がらない。
それでも去年の今頃の私とは確かに違う私がいる。
なにが違うかはうまくは言えないけど、きっと少しづつ受け入れているんだろうと思った。
今だけを見ていればゆっくりでも進める。
先を見たら不安になる事や考えられない事も、もちろんある。
私は今は、今だけを見て、1日1日を生きてるのかもしれない。
親子で。
私の家は私の祖父の代まで農家でした。
父は普通の会社員だったから、祖父が亡くなってからは農業はせず、畑を管理するのと両親が家庭菜園に使う程度。
今は父にトラクターの運転を教えてもらってます…😅
もし父が運転出来なくなったら私しか居ないから、柄にもなく練習中です。
田舎なので近所のおじさん達も協力的に教えて下さり有り難いです!
今日も父と昼間の炎天下の中、畑で練習…
暑くて運転も難しくてヘトヘトだったけど、父の嬉しそうな顔。笑
娘に覚えてもらうという事が父にはとても誇らしく嬉しいみたいです。
今は亡き妹の為に出来る1つの事。
両親を笑顔にする事
悲しい思いをした分、笑顔にさせてあげる事しか出来ないけど、きっと妹も私達が、なるべく笑顔に…と思ってるはずだから。
それにしても農家の方はすごい。
この暑い中、私は1時間半でバテました…
農業は絶対出来ないな。と痛感…w
反対に…
自分にとって悪影響な人も居る。
愛が憎しみに変わるかと同じかのように、以前のようには接する事が出来ない。
大事な友達だったから、どうにか軌道修正出来ないかと迷いに迷って2年。
最近思った。
接し方までを気にしなくちゃいけない人って、もぅ終わってるんじゃないか…って。
だって、そんな気を使う事って友達にも値しない気がしてきた。
ピリオドをシッカリ打ちたいけどその話すら出来ない…