月命日の昨日
彼女が納骨されて月命日が来て。
彼女のお墓はやっぱり自然溢れる場所で1人で行くと違う世界に居るみたいな感じで、鳥の鳴き声だけが聞こえる静かな場所。
ホントに悪くない場所だ。
彼女のお墓には誰かが来たのか、まだお花が新しくて、お友達が会いに来てくれたのかな…と嬉しかった。
墓石に向かって、そっちの世界はどぅ?
と聞いてみたりした。
辛い事や悲しい事は無いのかな?
それともこっちの世界の方が煌めいてるのかな?
最近すごく落ちる。
こうして毎日普通に生活出来ることに感謝しないと…
約1年前のブログ
約1年前のブログを読み返してみた。
人生で初めて大事な人を失った日から数日間の事が書いてあるのを見て、私はあの日から一歩くらいは前に進めているのかもしれないと思った。
慣れた。のでは無い。
彼女の死を少しづつ受け入れているんだと思った。
今でも毎日思い出すし、失った穴は塞がらない。
それでも去年の今頃の私とは確かに違う私がいる。
なにが違うかはうまくは言えないけど、きっと少しづつ受け入れているんだろうと思った。
今だけを見ていればゆっくりでも進める。
先を見たら不安になる事や考えられない事も、もちろんある。
私は今は、今だけを見て、1日1日を生きてるのかもしれない。
親子で。
私の家は私の祖父の代まで農家でした。
父は普通の会社員だったから、祖父が亡くなってからは農業はせず、畑を管理するのと両親が家庭菜園に使う程度。
今は父にトラクターの運転を教えてもらってます…😅
もし父が運転出来なくなったら私しか居ないから、柄にもなく練習中です。
田舎なので近所のおじさん達も協力的に教えて下さり有り難いです!
今日も父と昼間の炎天下の中、畑で練習…
暑くて運転も難しくてヘトヘトだったけど、父の嬉しそうな顔。笑
娘に覚えてもらうという事が父にはとても誇らしく嬉しいみたいです。
今は亡き妹の為に出来る1つの事。
両親を笑顔にする事
悲しい思いをした分、笑顔にさせてあげる事しか出来ないけど、きっと妹も私達が、なるべく笑顔に…と思ってるはずだから。
それにしても農家の方はすごい。
この暑い中、私は1時間半でバテました…
農業は絶対出来ないな。と痛感…w
反対に…
自分にとって悪影響な人も居る。
愛が憎しみに変わるかと同じかのように、以前のようには接する事が出来ない。
大事な友達だったから、どうにか軌道修正出来ないかと迷いに迷って2年。
最近思った。
接し方までを気にしなくちゃいけない人って、もぅ終わってるんじゃないか…って。
だって、そんな気を使う事って友達にも値しない気がしてきた。
ピリオドをシッカリ打ちたいけどその話すら出来ない…
支え
日々の生活の中で、自分を支えてくれる人が居る。
多くはない。ほんの一握り。
友達
職場
家族
友達の中でも気を許せる人が居る事。
気を使う人が多い世間の中で、本当に笑顔にしてくれる友達がいる事。
職場は私を必要としてくれている場所。
疲れても頑張れる。
家族は弱い自分を見せれなくても毎日顔を合わせ、何気ない会話をする事。
きっとこれが無ければ今の私は無いと思う。
毎日同じでつまらない。
独りぼっちになった気持ち。
正直そう思う事もある。
けど、本当に1人だったら、どうだったんだろう…
そう考えると何気ない日々の中で、支えというものは確かにあるんだと思う。
生きてると、どうしても欲張りになる。それは仕方ない事。
もっと楽しい事。
もっと笑いたい。
そう思ってしまい毎日の生活につまらないと思いがちだけど、私もそう。
だけど、たまにでいぃ。
彼女の存在が教えてくれた事を思い出す。
体が不自由でも外に出れなくてもいい…
家に帰りたい…
と言う大事な言葉…
思わずにいられない事
独り言のように呟く。
数日に1回は。
人の最期には色んな形がある。
妹は29歳まで自分の人生を自由に駆け抜けて、残りの人生は、話せない、聞こえない、見えない、動けない。それが約2年。
想像なんかつかないくらい地獄だっただろう。
今でも闘病生活を思い出すと震えてしまう時がある。
自分だったら…と考えると妹がどんな恐ろしい世界に居たのか考えたくなくなる。
逝く。しか選択肢がなかった妹。
眠る時まぶたも自由に閉じれない。
私は今でも思い出しては発狂しそうになる。
弱い。自分が可愛いだけなのかも。
自分が最期を迎える時、怖いのかな…
それとも妹が先に逝ってるから少し心強いのか…分からない。
もしも心強さをくれるなら、妹は魂だけになっても私を守ってくれているんだ…と思うだろう。
そんな事ばかり考えてしまう今日この頃。