妹と私の闘病日記

原因不明の病に侵された妹と私の気持ちをBlogに書きます

笑えるくらい

妹の闘病中は辛さの中でも周りの大事な仲間が居てくれたおかげで下がっても舵を取れる自分が居た。
だから戦えた。

妹の死後は笑えるくらい良い事がない。

今も両親と私で面倒を見ている甥っ子も最近は障害がある故なんだけど、暴れると私しか止めれない。両親は限界が来てて、その姿を見てる私は人として思ってはいけない最低な事を考えたりもする。

妹が居なくなったから…って彼女のせいにされたら彼女も安心して逝けないよね。

例え辛く苦しくても今いる状況を幸せと思わなければいけない。
彼女がしたかった事だから…

在宅医療

今、小林麻央さんの闘病blogが更新される度にニュースになってる。
私も家族が大病になった側として小林麻央さんのblogは読んでます。


在宅医療に切り替えた事をblogで読んで、妹が在宅医療にしたいと言っていたのが蘇った。

どんな体でもいい。
家から出れなくてもいい。
とにかく家に帰りたい。

常にそう言っていた。
彼女の寿命が例え短くなっても、その願いを叶えてあげたかった。
何度も医師に交渉してみたけど、妹の病気のケースだと在宅医療は難しいと…何度も言われた。
それさえも叶えてあげれないまま、今は違う姿になって一周忌までは自宅に彼女はいる。

もしも、妹の寿命が32年で終わったとしても、やっぱり1番居心地がいい自宅で過ごさせてあげたかった。
終わるなら尚更。

彼女はその選択すら出来なかった。

病院は嫌だ。病院は嫌だ。とずっと言っていたな。

小林麻央さんのblogを読んで、良い選択だな…と陰ながら思いました。

blogを始めて…

1年が経った。
陰ながら読んでくださる方が居たら、とても感謝しています。
このblogは嘘偽り無しで自分の気持ちを綴ってきたから、これからも書いて行きたいと思っています。本当に自己満足ですが、素直な気持ちを綴っています。

1年前、blogを書き始めた時は、まだ妹は生きていて療養病院で日々、何も見えず、聞こえず、声を発することも出来ないまま入院生活を送っていました。
結局、療養病院に転院しても詳しい病名は分からないまま…ただただ延命し続けている毎日。


そんな妹と私の戦いをblogに書こうと思って書き始めました。

まさかその数日後に亡くなってしまうなんて思ってないまま、彼女の戦いを残そうと思った。

もぅ治療法がないと言われ、いつかは…と言うのは医師に言われていたから。
治療法も無く病名も分からない奇病のような病に自分の大切な妹がかかってしまい、壮絶な戦いを、せめて残したいと思った。


今の医学では分からない奇病。
某大学病院が開院して以来、初めての症例とまで言われた。

人間なんて明日どうなるか分からない。
妹が入院した当時、治らないなんて思っても居なかった…

まだ鮮明に覚えてる。

そして、彼女の心の声。
サラッと書いた文字の重さが…

昨夜、久々に親友と会って飲んだ。
その時話した事。

人があっちの世界へ逝く時、なぜか夜中〜朝方が多い気がする。と…

もうすぐ妹が旅立って1年がたつ。
早すぎるくらい目まぐるしく月日が経った。

夜、月を見て思い出す言葉が最近ある。

満ちてゆく上弦の月は生を
かけてゆく下弦の月は死を

本当なのかもしれない…
妹は太陽が出る前に逝ったから。
それも突然。

私はこの言葉を信じずにいられない。

決めた事

あの頃に戻りたい。と過去にばかりすがりついてた。
きっとあの頃が今までの人生の中で1番楽しかったのだと思う。

でも時間は戻らないし、あの頃の自分には戻れない。


救ってもらったのは事実だし自分の人生の歴史の1ページに刻めるくらい、辛く、悲しく、そして楽しかった日々だった。
人を信じる事が、こんなに素敵なものだと思えた。


そんな想いをさせてくれたからこそ、私はこの先、演じて、演じ続けて生きて行く事を選んだ。
それが、この先自分がしてあげられる唯一の感謝だと。

始まりがあれば終わりもある。

来月は…

暖かくなって来た去年の今頃、妹は療養病院で毎日毎日声も出せず、目も見えず、耳も聞こえず、人口呼吸器に助けられながら1日1日を生きていた。

来月は1周忌。
そして妹が我が家から第2のお家に入る。

時が経って慣れる事は無い。

次々と降り掛かる問題や嫌な事。
その度に彼女が居たら…と考えてしまう。

妹からしたら迷惑な話だよね、3年半壮絶な闘病をして最期は1人で旅立って、それでも頼られてたら…💧

私は毎日毎日演じて、演じて笑って、何事もこなして、過ごしてる。
色んな人を見て、冷めたり、イラついたりしながら…

今、私を支えてるのは何だろう…
何も無いかな。
この先何が待ち受けてるのか恐怖がよぎる時もある。

回復、納骨ペンダント

娘は妹が見事に守ってくれて、一晩入院して大事には至らず回復してくれました。
ホントにありがとう。妹。
離れてても守ってくれてるんだ。
会えないのはすごく辛いし癒えることはないけど、守ってくれてるんだと実感した。


私と母がしたかった事。
妹の骨をペンダントにしたかった。
葬儀屋さんに相談してみたらやってくれるとの事で私と母で色違いのペンダントを購入して葬儀屋さんの担当の方が来た。

あれ以来見る妹の骨。
複雑な気持ち。

白い器に少しの骨を入れて擦って粉状になった妹の骨をペンダントに入れた。

故人からしたら分からない。
生きている私達の気休めかもしれない。

それでも、そうしたかった。