妹と私の闘病日記

原因不明の病に侵された妹と私の気持ちをBlogに書きます

孤独と無気力

1ヶ月間くらい無気力だ。
メンタルクリニックで先生に話したところで薬を処方されるだけ。だから言わない。
頭がぼーっとする毎日。

ひとりぼっち感が襲う。
会えなくてもいい。
何かで繋がっていたい。

念じても願いは叶わないよ。
どうにもならない深い深い水の底だ。

どうしたらまた笑える?

きっとずっと

妹の壮絶な闘病中、私を支えてくれたスーパーマン
あの時1人だったら私はホントに心が壊れて死んでいたかもしれない。


彼とは男女の境を越えた友情で繋がっていた。お互い1人の人として尊敬し、時には頼り、支え合い、こんな人と出会えたのは初めてで、偶然では無く必然だったんだと思う。

4年前、しがらみが原因で縁を切った。あの時私はフヌケになった。
その後妹が亡くなった時は通夜、告別式に参列してくれて告別式ではいい大人の男の子が大泣きしていた。

妹の死から離れた私達。

小さな地域だから変な噂が立つと迷惑だから…と理由で彼のご家族から言われたけど…四年経って本当の理由が分かった。

私と彼の祖父同士は兄弟のように仲が良かったらしい。ある時、飲み屋から別の店に移動する際うちの祖父の車を出した…
4人乗って…彼の祖父は助手席。
そして事故が起きた。
彼の祖父は亡くなってしまった。

私達はずっと知らないまま生きて来て仲良くなってから知った。

それでも私達は過去に囚われず仲良くしていた。

私達が、縁を切ったのは、あの事故。彼のご家族からしたらウチとは関わって欲しくないと…
全ての原因がその事と聞いて悔しかった。

彼も縛られているのかもしれないけど私からはもう2度と歩み寄る事は出来ない。彼の苦渋の決断が今になって分かるから。

でもね、4年目になっても憎む事も忘れる事も無く、大事な気持ちは少しも変わってない。
きっとずっと、この想いは変わらず人生が終わる時この気持ちも持って行くんだろう…とまで思う。
信頼できて色んな自分を見せれる友達なんて一生に1人現れるかどうか…私は彼がそうだったんだ。

もぅ何も伝えられないんだけどね…

冷めた見方になる時

たまに思う。闘病してた妹の病院に泊まって一緒に過ごしてあげれば良かった。と。

もちろん闘病中、何度か考えて看護師さんに相談しようと思った。けどモタモタしてるうちに療養病院に転院…療養病院は泊まると言う事は禁止されていたので出来ないまま妹は天国へ…


あの時あーしてあげれば良かった、とか、短く太い人生を彼女は駆け抜けたんだ、とか思うことって生きてる側のエゴなんじゃないか…って冷静に考える時がある。

彼女の人生は決まってたものだろう。けど、幼い息子を遺して…とか、きっともっと生きたかったんじゃないかな…と彼女自身は思っていたんじゃないかな。

残された側の私達が綺麗にそう思って勝手に妹の気持ちを決めてるんじゃないのかな。

でも、こう思って生きて行く事が残された私達が前を向いて行ける魔法みたいな気がするんだ。


彼女のように出来る限り自分の人生を自由に生きよう。とか、彼女のようになりたい。とか。
エゴかもしれないけど、これが前に進むおまじない的な事だと思って、自分の人生を進もうとしてる。

じゃなきゃ正直寂しくて押し潰されそうになってしまうから…

エンディングノート

最近、江原さんの本を読んでエンディングノートを書く事は悪くない事だと知り、書いてみようかな…と思う。

きっと、30代でこんなにもの経験をしなかったら絶対に思わなかった。

妹はエンディングノートどころか、自分が最後何を伝えたかったのか。きっと伝えたいのに麻痺が酷くて伝えられないまま天国へ旅立っていった。

亡くなったら綺麗になんとでも言える。
悔いはなく逝ったんだよ…とか、天国で笑ってるよ…とか。
気休めかもしれないけどカウンセリング的なものを受けに行って、こうゆう前向きな言葉を言ってもらい、その時はもう下向くのはやめよう。と思う。

けど、亡くなった本人が何を思ってたのか、それは誰にも分からない。そして、失った側も、失った辛さを自分の一部にして生きていかなければいけないんだ。と思う。
これはもしかしたら妹の死を受け入れ始めてるのかもしれない。2年前の私ならこんな風に思えなかった。

今でもものすごい喪失感に襲われたり、淡々と毎日を過ごしていたりの自分。
多分少しは前に進んでいるのかもしれないな。

少しづつだけど私はエンディングノートを書いて自分にもしもの事があった時に読んでもらえるようにしたいな。

やっとblogを。

私は30代に何人大事な人を失うんだろう。と思わされた今年の夏。

真夏の暑い日の夕方、珍しい友達から突然電話が来た。
〇〇さんちのご家族と仲良いよね?
うん、なんかあったの?
落ち着いて聞いてね、旦那さんが亡くなった。

と……

え?って感じだった。風邪ひいても自力でなん治しちゃうような強い人が?先週一緒にコンビニでアイス食べてたのに?

訳がわからないまま教えてもらった病院に行ったら案内された場所は霊安室

仕事の休憩中にお昼寝してそのまま逝ってしまった。心不全だった。

しかも私の妹と同じ年齢で…

可愛い子供達と愛する奥さんを遺して、気持ちよく眠ってるみたいだった。

今年の夏は夢のように過ぎた。

私は彼ら家族にすごく救ってもらった。家族同然な関係だった。
だから立場は違えど大事な人を失った悲しみは普通の人よりは分かると言える…
子供達を笑顔に。
同じ土俵に上がった親友の支えに。

今は少しずつルーティンが出来てきて、彼女達と一緒に過ごす時間も決まって増えてきた。

子供達の力には私もパワーをもらう。

笑う時は思いっきり笑って泣きたい時は思いっきり泣いて、素直に表現してる。
すごく強いと思わされた。

2年前の私は笑えなかった。他人との関係すらめんどくさかった。

でも気づかぬうちに自分を取り巻く周りの人に支えられてここまで歩いてきてる事に気付かされた。

明日なんか分からない。
今しか分からないんだ。

大きな穴

闘病中の妹の姿が急に走馬灯のように蘇る時がある。
まさに今そうだった。

大事なものを一気に失った私は段々それに慣れて来て、ドン底の日よりは普通の毎日を送ってる。

でもフとした時に思い出して急に不安になるのは変わらない。

そして一生そうなのかも…と思うと、すごく怖くなるのが正直。


一気に全部失いたくなかった。

私と妹の好きだった人

前日、大好きな安室ちゃんが引退するニュースで衝撃を受けてから色んな事を思い出してた。


私達姉妹は大の安室ちゃん好きで、生前、妹と安室ちゃんのPVを2人でよく見て、ライブにも何度も妹と行って、安室ちゃんにすごく元気をもらってた。
ライブは2人で鳥肌が立つほど感動して、新曲が出れば一緒に聴いて、安室ちゃんのメイクや髪型、服装も、何もかも2人で応援してた。


妹が病に侵されてからライブの参戦は出来なかった…どうしても行けなかった…
ちょうどFEELのアルバムが出た時、まだ会話が出来てた妹に、病院にアルバム持ってこようか?と聞いたら退院したら聴くからいぃ。と一点張りだった。
結局、聴けないままだった…

ちょうどGENICのツアーが始まった時、今は絶縁してしまった私の大事な人が行こうと誘ってくれた。
何年ぶりだろう…行けなくなってからはDVDは必ず買って見てたけど、妹と行って以来だった。
私が大好きな人を私の大事な人も大好きになってくれた。それほどGENICのツアーは特別なものになった。
去年は、その大事な人とはもう絶縁してしまって一緒には行けなかった。GENICが最後の思い出になった。
すごくすごく大事な思い出。
きっと、死ぬまで絶対忘れない、私の人生の歴史に残るだろう。
ちょっと切ないけど、忘れたく無い思い出。


安室ちゃんの引退は残念で仕方ない。
けど、引退しても私の中からは消えないし、ずっと応援し続けるし、こんなにも元気や感動をもらった事にありがとう…と思う。

数々の曲に思い出が1個1個刻まれて、その曲を聴くと蘇る。